横浜に世界最古のラグビークラブ? 血煙で幕開けた日本ラグビー史【再掲】

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【12月31日 AFP】現在開催中のラグビーW杯日本大会(Rugby World Cup 2019)では、7万人を超えるファンが決勝の舞台である横浜国際総合競技場(International Stadium Yokohama)に集結するだろう。しかしその中に、この国のラグビーに150年を超す豊かな歴史があること、世界最古のラグビークラブの一つが日本にあることを知っている人は多くないかもしれない。(※この記事は、2019年10月18日に配信されました)

 すべては1860年代初頭、薩摩藩士が英国人商人を斬り殺した生麦事件から始まった。事件をきっかけに、英国は自国民を保護するための軍隊を日本へ派遣したが、その中にたまたまラグビー好きが交じっていたのだ。

 日本ラグビーの黎明期を研究しているマイク・ガルブレイス(Mike Galbraith)さんによれば、記録に残っている日本初のラグビーの試合は1863年で、ラグビー発祥の瞬間として有名な、ラグビー校(Rugby School)の学生ウィリアム・ウェブ・エリス(William Webb Ellis)が「ボールをわきに抱えて走った」ときから40年の開きしかない。

 事件による両国の緊張が収まると、ラグビー校のようなパブリックスクールの出身者も多かった軍人たちは、暇つぶしに楕円(だえん)のボールを手にするようになった。ガルブレイスさんは「問題が沈静化すると、特にやることのない彼らは、毎日午後にラグビーをプレーして過ごすようになりました。1864年12月には市民も交えてプレーしていたという記録が残っています」と話す。

 2年後の1866年には、そうした愛好家40人以上が集まって横浜フットボールクラブ(Yokohama Foot Ball Club)を設立。日本の新聞が1月26日にそれを報じ、その日が公式の創設日ということになっている。英字紙ジャパンタイムズ(Japan Times)には「ラグビー校やウィンチェスター校(Winchester School)の卒業生がたまたまいるから、きっと素晴らしい科学的なプレーができるはずだ」と書かれている。

 ガルブレイスさんはこれを根拠に、横浜が世界最古の「オープン」なクラブ、つまり学生の部活動ではない、誰でも参加できるクラブの発祥の地の可能性があると主張する。「同時代史料に創設が記されていることから、どうやら横浜カントリー&アスレチッククラブ(YC&AC、横浜フットボールクラブの後身)は現時点で世界最古のオープンなクラブと言えそうです」というのがガルブレイスさんの考えだ。

 もっと歴史が古いとされるラグビークラブがあることは把握しているが、それらは設立を記した確固たる史料を欠く。「時間や主要メンバー、活動内容が試合当日の新聞に記されているのは横浜フットボールクラブだけです」とガルブレイスさんは語る。

 もっとも当時のラグビーは、W杯でプロ選手が見せるスピーディーな現代ラグビーとは別物だったようだ。クラブの創設者は「ハッキング」、つまり相手選手を蹴るのを禁止する提案をしなければならず、また試合記事によれば、主な得点手段はドロップキックだった。1873年のジャパン・ウィークリー・メイル(Japan Weekly Mail)紙には、「アボット選手はボールをつかむと対戦相手の間を巧みにすり抜け、見事なドロップキックで得点を決めた」と書かれている。

 やがて世紀の変わり目に、ラグビーが日本に根付くきっかけとなる出来事が起こった。ケンブリッジ大学(Cambridge University)を卒業したエドワード・ブラムウェル・クラーク(Edward Bramwell Clarke)と日本人選手の田中銀之助(Ginnosuke Tanaka)が、慶応大学(Keio University)にラグビーを持ち込んだのだ。これによって日本ラグビーのすそ野が広がり、人気も一気に高まって、1930年代初頭には試合に2万人の観客が集まるようになったという。

 1926年

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